
Vol.1
ともっち:青春時代によく聴いた曲…今でも色あせない楽曲たち。そんな楽曲とそのころの思い出を語っていきます。
↓
あのころってFMよく聴いてた。1990年ぐらいはkissFM KOBEで夜、ノンストップで洋楽かかっていたの印象にあるわ。
旅風さとみ:それで多感な時にFM802よく聴いてて、あのころは邦楽もいい曲多かったなぁ。ミスチルとかドリカムとか。
高峰智弘:だけど衝撃的なのはZOOやね。最初Choo Choo TRAIN聴いたときはぶっ飛んだもん。それでスキーに行こうってなったよな。
ともっち:東京では東北新幹線の沿線でスキー場が多かったからタイアップでこの曲できたみたいやね。関西からはシュプール号が多く運行されてた。JRになってからバスやマイカーに対抗する形でゲレンデアクセスが良くなった。
高峰智弘:あのころは白馬エリアまでシュプール白馬栂池、妙高や信州へはシュプール妙高志賀とかね。新潟まできたぐにとか、函館まで日本海とか、自由に動けるようになったら北海道まで行ったけど、年末は寝台急行のあおもりも運行されてた。あのころは夜行でゲレンデに行くのが定番で都会を離れていざ!ゲレンデへと盛り上がったよね。シュプール白馬栂池は専用の客車列車で荷物置き場やスキー置き場も完備して、サロンコーナーもあったから、酒持ち込んでワイワイする人も多かった。
旅風さとみ:あのちょっと前が空前の好景気で、ちょっと上の世代だとディスコとか行きまくったり、いい車乗って彼女連れてプリンスホテルのあるスキー場でなんてやってたらしい。同じこと考える輩は多くてホテルが取れなかったり。
ともっち:そう考えると我々の世代って、バカ騒ぎしてた世の中がちょっとは落ち着いてきたいい時代だったと思う。音楽的にも新しいものをやろうとか受け入れようとか、そういう気風が醸成されてきた時期だと思う。
旅風さとみ:これも衝撃的だったよなぁ。こういったHIPHOP系がFM802でガンガンかかっていた。他にも邦楽でR&Bとか出てたよな。そういう音楽聴いて育ったから、今でもHIPHOPとかACIDJAZZとか好きやねんな。sakuraとかね。関西出身のR&Bシンガーが多かったような気がする。
ともっち:それでクリエイターとしてガンガンやってる時に嶋野百恵が出てきたんやね。
旅風さとみ:これね。後の邦楽に影響与えたやつ。1990年から1998年まではFMからこういった曲がどんどん流れてきて面白かったな。
高峰智弘:それで週末になったらどこ行こかってなって夕飯食った後でとか、働くようになったら仕事終わってそのまま駅に向かう。梅田に出てから帰るんで、そのまま「青春18きっぷ」持って京都駅まで行ってムーンライト九州に乗ってあとは九州着くまでゆっくり。たまに気があった人たちとワイワイ。そういうのあったよな。今は夜行列車がないんでそんなこともない。ちょっと残念やね。
ともっち:なんか垣根がないって言うか、いろんなものを受け入れてたんやね。それでZOOとかEASTENDとか出てきて。そういや大阪駅の桜橋口から道渡ったところにクラブあったん知ってる?
旅風さとみ:大揺れ大阪やろ。梅田にQOOが進出する前にあったクラブ。JR西日本が運営してたようで、その頃から街を動かすイノベーションを起こそうって気概があったよね。それと阪神大震災があったよね。1995年。まぁ、大阪にいたから大変な目には合わへんかったけど。
ともっち:オレはデザイナーとして働いてたから、入稿する原稿持っていかないとと大阪山の手から3時間かけて出社したけど。そしたらチームリーダーも車で来て。やっぱデザイナーて自分の担当の仕事にはそう言うところがあるんやね。そう言う職種で働かないとわからないことやねんけど。
高峰智弘:あのころは昭和の古い感覚から脱却しようとみんな新しいことに興味を持った時代だったのかもしれない。JRも国鉄時代のイメージを払拭しようとしていたし。そう考えたら経済は下り坂に向かっていたけど、音楽とか文化的なことは登り坂で次何出てくるかワクワクした時代やった気がする。
音楽と当時の社会背景を考察する…Music Trip |